若いころ、パチンコ・パチスロ(ギャンブル依存)で借金しそうになった時の話

今でこそ、パチンコ・パチスロで負けないことが普通になりましたが、思い返すと、ヤバイ時期が何度かあったことを思い出しました。

今にして思うと、僕は運が良くて、勝たなければいけない時に勝てたり、負け続けなかったことで「借金」を経験せずに済みました。

ギャンブル依存は借金とは切っても切れない関係があると思うので、もし借金をしていたらどうなっていたかの想像も交えて話をしてみたいと思います。

高校卒業してすぐにパチンコ漬けになった

高校を卒業して、地方の大学へ進学しました。

1人暮らしに憧れていて、親元を離れてみたいなとも思っていたので、地方の大学を積極的に受験したんです。

念願かなって1人暮らしを始めたんですが、なんせ知り合いもいないし、社交的でもないので基本1人で遊ぶのが習慣になりました。

実のところ、○校生のころから、隠れてパチンコは打っていて、一人暮らしになって親や教師の目もなくなったので、大手を振って楽しむようになりました。

高校を出てすぐ、まだ金銭感覚がまともだったので、パチンコといえば「羽根もの」オンリーで、数千円勝った負けたで遊んでいました。

このときは、デジパチとか、一発台とか怖くて勝負できなかったので、生活できなくなるほど負けることはありませんでした。

でも、日常的にパチンコを打つ習慣はこのとき身に付いてしまいました。

大学生時代

1度目の大学は1年半で終わりを告げます。

バイトとパチンコのルーティンで学校に行かなくなり、当時の大学が1学年で2年までの縛りがあったので、2年目の前半で進級が難しい=卒業できないだろうと判断しました。

せっかく進学したのにもったいない話ですが、このときは、もう学校に行くいかないではなく、辞めるしかない状況でした。

特に借金をしていたわけでもなく、アルバイトもそれなりに楽しくやっていたんですが、朝起きてパチンコ屋さんに行き、夕方になったらバイトに行き、夜遅く帰って寝るという繰り返しの生活に虚無感を感じていました。

大学のお金を出してもらって、学校へも行かず、ダラダラしょうもない時間を浪費している自分が申し訳ないやら、情けないやらで・・・。

何度か「このままじゃダメだ。」と学校に行ってみたり、テスト勉強をしてみたりもしましたが、1週間もすると、パチンコに通っているのが現実でした。

今にして思うと、借金こそありませんでしたが、軽いギャンブル依存症だったのかもしれません。

大学を中退。再度受験

大学を辞めて実家に帰ってきたものの、残り半年で今後どうするかを決めなくてはなりません。

普通に考えれば、大学に進学して失敗しているんですから、専門学校とか、就職とかの発想になるものですが、なぜか懲りずに別の大学を受験することにしました。

このときの生活が一番クズで、基本的に日中はすることがないので(名目は勉強していることになっていた)、昼まで寝て、図書館に行くと見せかけてパチンコ屋に行き、お金がなくなると図書館で小説を読み漁るという具合でした。

お金は毎月親から小遣いとしてもらっていた分と予備校の短期講習とか嘘をついてお金を無心していました。

本当に親不孝ですが、当時は勉強をする意欲もないけど社会に出るつもりもない感じで、真剣に自分の人生を考えていない時期でした。

実際に受験をしましたが、ここでも、幾つかの大学を受験すると見せかけて、一番レベルの低い大学だけで、他の大学は受験料をパチンコで溶かしました。

こうやって改めて書いてみると相当なクズですね。

いまさら、わざわざ親に告白するつもりもありませんが、機会があったら謝りたい気持ちでいっぱいです。

2回目の大学進学で同じ失敗を繰り返す

年が明けて受験をした結果、受かってしまいました。

ここで落ちていれば、もう少し早くに人生立ち直ったかもしれません。

2年遅れでまた大学1年生となったのです。

実家からは結構な距離があったのですが、一度目の失敗で1人暮らしだと堕落してしまいそうで、最初は通っていました。

ただ、そんな長時間の通学に耐えられるわけもなく、親も僕に合わせて朝起きるのも辛かったようで、半年もすると下宿先を探して1人暮らしになりました。

・・・もう結果は見えています。

生活費が必要でバイトを始めると、ほどなくして学校に行くのが面倒になり、夜はバイト、昼まで寝ているような生活サイクルになりました。

ただ、このとき違っていたのは、パチンコはしていなかったということです。

バイト先でお付き合いをする人ができて、半同棲みたいになり、彼女と遊んでばかりいました。

どちらにしても、学校生活に行き詰まるのは目に見えていて、この2回目の大学も、辞めることになってしまいました。

バイト先に就職 浪費癖でお金は貯まらない

大学を辞めると同時に、その時バイトをしていた先でそのまま就職しました。

我ながら、そうとういい加減な人生ですね。

流されるまま、その時楽な方に流れているだけです。

こんな人生なので、大学での就職活動はしてなくて、今の若い人が就活で苦労する気持ちが全く分かっていません。

この仕事の業種は、サービス業だったこともあり、3年ほど経ったときに長くは続けられないなと思い、辞めることになります。

辞めるきっかけは、仕事に飽きたのと、お付き合いをしていた人とお別れして、いろいろ揉めたことでした。

結局ここも何かしたいこととか、将来を考えてではなくて、なんとなく辞めることになりました。

大学の途中からこのときまで1人暮らしをしていましたが、ほとんど外食、彼女とのデートは全て自分持ちという生活だったので、貯金は「0」でした。

こんな状態でポンと仕事を辞めてしまうこと自体、今考えると軽率な人間だったなと思います。

就職する気も無く毎日パチンコ

仕事を辞めてからは、毎日パチンコでした。

就職しないといけないと分かっていながら、仕事も探さず、朝起きてパチンコ行って、帰ってきて、ゲームやって寝るだけの毎日です。

本当に何にも考えていませんでした。

そのうち、退職金も使い果たし、お金が無くなってはじめて「どうしよう」と心配しだします。

ここで救いだったのが「借金」をしなかったことです。

理由は、借金は怖いイメージがあったのと、手続きが面倒だったからです。

結局親に電話をして、泣きつくことになりますが、もしここで借金をしていたら、堕落した生活が続いて借金も増え、もっとひどい状況になっていたと思います。

このときの経済状況は本当にひどいもので、実家に帰る電車賃が全財産で、お腹が減って、2日くらい何も食べていないくらいでした。

つい2日前までパチンコに行っていたんですよ。

そうなるのが分かっていても止められず、本当に手持ちのお金がなくなるまで行ってしまう。

これは完全に依存症です。

パチンコしたくても、もうお金がない。食べるものもない。

そうなってはじめて止められました。

死ぬほど怒られて、就職活動 でもパチンコは止められず

結局アパートも即引き上げて実家に戻ることになりました。

ただ、当時貰うつもりの失業保険の手続きもしていなくて、アパートの家賃も滞納、取るはずの免許も取れていなくて、期限切れで教習所も辞めていてたのがばれて、親にはめちゃくちゃ怒られました。

もう、パチンコしかしていなくて、その他のことは全てめんどくさいんです。

これがギャンブル依存の怖さの一つだと思いますね。

人から全ての気力を奪うんです。

やっぱり親です。こんな情けない子供でも、見限りません。

教習所のお金も払ってくれて、失業保険の手続きにも付き合ってくれて、滞納した家賃も代わりに払ってくれました。

心機一転、就職先を探し始めますが、ここでも懲りずにパチンコを始めてしまいます。

ギャンブルの楽しさは中毒

就職先を探すと言いながら、実際には職安に行くと見せかけてパチンコ屋に行っていました。

両親とも働きに出ていたので、昼ごはん代を貰っていて、これが軍資金でした。

月に1、2万円程度のお金でしたが、これをパチンコに使おうという発想自体が異常です。

ただ、我ながら感心するのは、お金を借りることなく、軍資金が尽きたら、昼ごはんは我慢、暇な時間は図書館で小説を読むことができていたことです。

借金をしなかったのは、「面倒」なのと「プライド」のせいです。

僕は、「いい格好しい」なので、恥を忍んで借金をすることができませんでした。

借金の手続きで「身分証明書」を提出する必要があるのは分かっていたんですが、免許がなかったので「免許証」の提示ができないなあと思っていて、免許を持っていないことを知られるのも恥ずかしかったんです。

結果的には、免許を取れなかっただらしなさと、無駄に高いプライドのせいで「借金」をせずに済みました。

ギャンブル依存は問題ですが、大きな境界線として「借金」をするかしないかは大きいと思います。

僕の場合は、これまで要所で「借金」をしなかったことが今の生活を維持できている理由だと思っています。

それと、この時期に運が良かったのが、思ったほどパチンコで負けなかったことです。

回転率とか、止め打ちとか理論は知りませんでしたので、単なる偶然ですが、「行けば勝つ」みたいな無双状態でした。

それと稼いだお金で新しいゲームソフトを買って、時間つぶしができたことものちのち助かりました。

結局親のコネで就職が決まる

この無職の時代は2年ほど続きました。

途中、あまりに就職しないでいると親にいろいろ言われるだろうと思って、「試験採用」的な仕事はしましたが、あくまでパフォーマンスでした。

今思うと、あのまま何もしないでもっと時間が経つと、世間の目が気になって、ゆくゆくは今で言う「引きこもり」になっていたかもしれません。

さすがに2年も職がないと、親も黙ってはおらず、父のコネで今の会社を紹介されて、就職しました。

父は、結構出世していた人なので、もっと早くにコネを使えたとは思います。

ただ、僕の性格や意思を尊重してくれて、怒ることなく、2年間を待ってくれていました。

ただ、2年を越えてそのままだと「社会復帰できないかもしれない」と、知り合いの社長に声をかけたようです。

このおかげで今の僕があるので、本当にありがたかったんですが、当時の僕には、何も予定のない、楽な毎日が終わってしまうという残念な気持ちと、まともな職歴がなく、2年のブランクがあるのに就職してやっていけるのかという不安だけがありました。

それと、紹介された職場は、実家よりも田舎の方面だったので、なんとなく都落ちみたいなイメージがあって、「行きたくないな」という思いが強くなりました。

普通だったら中小企業とはいえ、まずまずの会社が決まるなら、うれしいことのはずですが、毎日パチンコ三昧だったせいか、社会に出ることがとても辛く感じました。

ゲームにしろ、パチンコにしろ、現実から離れた遊びが長期間続くと、本当に気力が失われます。

そのときはあまり深く考えずに毎日を送っていましたが、あれ以上長く依存状態が続くと、本当に危なかったと思います。

貯金ができたのは最初の一年だけ

就職が決まって、しぶしぶ今の会社に勤めるのですが、まあ、最初はイヤな奴だったと思います。

とにかく働くのが嫌で、都落ちした気分だったので、「何で俺がこんな田舎で働くんだ?」という態度でした。

しかも最初に仕事を教わった人も、同じ年なのに先輩風を吹かせて、今で言うところの「パワハラ」に近い教え方だったので、腹を立てながら仕事をしていました。

ただ、僕のプライドが高かったせいで、「仕事ができない」と思われたくなくて、懸命に仕事を覚えました。

結果的にこのときの「仕事熱心」、「仕事ができる」イメージが今の僕を助けてくれていて、世の中分からないものだと思います。

そうこうしているうちに、仕事にも慣れ、職場の人とも仲良くなって、当初のイヤな態度も改まっていきました。

一度ついたイメージを裏切ることができなくなって、仕事はそれからも手を抜かずに頑張りました。

入社から半年は、とにかく仕事で手一杯で、お金を使う機会もなかったので、お金が貯まりました。

初年度なので大して給料も少なくてボーナスもありませんでしたが、半年で3桁近く貯まったことを覚えています。

ただ、こういう順調な人生も長く続きません。

半年、1年と経つと、仕事にも慣れてしまって、仕事の後や休日が暇に感じるようになります。

もう言うまでもなく、パチンコ再開です。

実家に住んでいたので、生活費がかかりませんから、深刻な状況にはなりませんでしたが、今までのようにお金が貯まるような生活はなくなってしまいました。

職場の友人からパチスロを習う

それまでは、パチンコが専門でしたが、職場でギャンブル談義をしていると、パチスロの話も当然出てきて、ある休日にパチスロを打ちに友人と出かけました。

パチンコは「待つ」時間が長いですが、パチスロは自分で「打つ」ので、楽しいと思いました。

このときを境にパチンコ、パチスロ両方を打つようになり、ギャンブル依存はますます進んでいきました。

借金をするかしないかで悩む

このころ、仕事でパソコンを使う機会が増えて、将来的にも覚えた方がいいだろうという事で、パソコンを買うことになりました。

口座にあったお金で足りると思っていたら、その月のパチンコ・スロットで結構負けて足りなくなってしまいました。

親や職場には「買う」と宣言してしまった後なので、今更後に引けずに、キャッシングについてあれこれ調べました。

このときが一番借金をする可能性があったんですが、結果的には借金せずにパソコンが買えました。

借金のことを調べながら、お金が足りないのにパチンコ屋に行ったら、本当に偶然、大勝してパソコンが買えたのです。

負けていたら、その夜に「ア○ム」や「ア○○ル」、「プ○ミ○」のどこかに行っていたと思います。

まあ、よく考えたら、パソコンをローンで買えば済んだんですけどね。

パチスロで「天井狙い」を覚える

そんなこんなで何とか借金を免れていましたが、あるとき勝ち方を学びます。

当時は4号機の時代で、パチスロ全盛期でしたが、その中でも「信長の野望」というAT機にはまりました。

他にも色んな台があったはずですが、たまたま座ったら大きく勝って、その後頻繁に打つようになりました。

パチスロのAT機などは、仕様が複雑で、どうして当たったのか、どうやったらATに繋がるのか、潜伏ゲームなどもあるので最初は意味がわかりませんでした。

今ほどネットの環境が身近ではなかったので、この時期にはパチスロの雑誌を買って情報を得ていました。

雑誌を見ていると、どうやら「信長の野望」では、一定のゲーム数はまりで優遇される仕様であることが分かり、実際にはまっている台を打つと面白いように勝つことができました。

当時は、情報が一般的に広まっていなかったので、大はまりをしている台が、半日置きっぱなしとか、前日はまり台が設定変更しないで朝一台なんてことも普通にありました。

「信長の野望」で味を占めると、「他の台はどうなんだ?」という疑問が湧きます。

雑誌は定期的に買っていたので、他の機種の情報も得ることになり、多くの台で「天井」をはじめとしてゲーム数と当たりの関係が分かってきました。

当時は、天井狙いに徹していたわけではありませんし、打つ機種も幅広くなかったので、大きく勝つことはありませんでしたが、体感的に負けていないことは実感していました。

天井狙いの徹底~現在まで

その後もいろいろありましたが、基本的にパチンコ、スロットで負けなくなりました。

正確な収支を付け始めるのももう少しあとなので、実際に幾らくらい稼いできたのかは分かりませんが、少なくとも、「給料日が待ち遠しい」とか「月末に友達との食事を断る」ということはなくなりました。

独身時代には欲しかった車もパチスロの稼ぎでローンが払えたりしたので、かなりの金額を稼いでいたと思います。

時代は流れて、出玉性能はおだやかになり、情報も知れ渡ることで勝ちにくくはなってきていますが、いまだにお小遣いくらいは稼げているので、パチンコ・スロットは投資としては相当甘い部類ではあります。

今後も稼げるうちは稼ぎたいとは思いますが、正直なところ、将来性はない業界でもあるので、適当なところで辞めることも覚悟しています。

おわりに

こうやって振り返ってみると、要所で「借金」をせずに済んでいることが一番ラッキーだったと思います。

「借金」をせずに上手くいった経験から、個人的には、ギャンブル自体が危ないのではなく、「借金」をすることが問題だと思っています。

お金がお金を生み出す「投資」の逆で、「借金」は新たな「借金」を生み出します。

もし、このブログを読んでくれている人で、「借金」をする/しないで悩んで知る人は、絶対にしないようにしましょう。

「借金」さえしていなければ、かなりの確立で人生を立て直せます。

もし、既に「借金」のある人は、とにかく早く返しましょう。

ギャンブルを副業にすることは可能ですが、利子を背負っていては、今のギャンブルでは追いつきません。

「借金」は借りたお金が時間と共に、何もしなくても増えていきます。

このブログではギャンブルでお金を増やすことを書いていますが、同時に無駄なお金を抑えることもとても大切なことだと思います。

ギャンブルを楽しむこと、ギャンブルでお金を稼ぐことは余裕のある生活でなければできません。

ギャンブルで稼ぐことは、ギャンブルで勝てない人が思うより簡単ですが、ギャンブルを知るほど簡単でないことに気付きます。

たかがお金のために人生を棒に振るようなことがあってはなりません。

仕事も副業も楽しんで向き合う為にも、気楽にまじめに取り組みましょう。