ギャンブル依存症

家族がギャンブル依存症の人へ 治すのではなくやめることが必要

ギャンブルの対策として、

一番いいのは、負けている人が負けないようになることです。

でも、どうしても勝てない人もいます。

勝てなくても普通に生活できていれば問題ありませんが、借金が元で、本人、場合によっては家族にも影響することがあります。

ギャンブル依存に関する悩みは、やめたいけれどやめられないというもので、いろんな対策が紹介されています。

ただ、実際にはこういった対策は効果がなく、解決できることは少ないのではないでしょうか?

ここでは、ギャンブルをする側からみた依存症の問題点と周囲の人の取るべき対応について書いてみたいと思います。

 

依存症かどうかの判断

チェックリストは対策にならない

ネットなどで調べると、ギャンブル依存症かどうかを調べるチェックリストがあります。

チェック項目の内容は、ギャンブルをする人なら心当たりのある項目で、かなりの確率で依存症、予備軍に分類されます。

チェックの目的は、

チェックしました→依存症の疑いあります→心配になってギャンブルを控える

ということだと思いますが、まず、そうはならないでしょう。

自己抑制できないのが依存症なのですから、自己チェックしてみても対策にはなりません。

ギャンブルをする時点で依存症

チェックリストは依存症かどうかの目安になるという意見もあるでしょうが、判定することに意味はありません。

ギャンブルが好きな人はお金を賭けての勝負事が好きなわけで、嗜む人は全員が依存症でしょう。

実際、チェックリストの項目も、ギャンブルを継続的にする人ならだいたい経験することで、まともにチェックしたら初心者以外は依存症の判定になるでしょう。

そもそも、依存症かそうでないかを2極的に分類しようとするのが間違いで、ギャンブルが好きな人は全員依存症と思うのが妥当です。

問題は、財力や借金の有無、程度で、現実的な問題は金銭的な被害が出るかどうかです。

実際、ぼくの父はパチンコ狂で、家の1軒くらいのお金は軽く失っていますが、借金する度胸がなかったので、運よく経済的な破綻はせずに済んでいます。

ピンと来ない人のために補足すると、

「あの人ギャンブル依存なんだってさ」というのは、

「あの人借金で困っているんだってさ」と同じですから、

依存症かどうかの判定は、借金をしているかどうかの方が現実的といえます。

依存症は病気だけど、治せない

依存症は病気だから、治療を受ける必要があるという意見があります。

たしかに、自分の意思だけでは解決しないので、正しいと思います。

ただ、普通の病気とも違って、治すという考え方には賛成できません。

一度覚えたものを完全に忘れることができないのと同じで、ギャンブルの中毒性を経験すると抜け出すことはできません。

例えば、おいしい食べ物を一度味わってしまうと、完全に忘れてしまうことはできませんよね?

もし、このおいしい食べ物が体に良くない成分を含んでいて、食べてはいけないとなったら、あなたは食べずにいられますか?

たぶん大丈夫でしょう。

おいしくて、安全な食べ物は他にもたくさんあるし、食べ物の持つ中毒性はたいしたことはありませんから。

でも、仮に世の中の食べ物で、お米と野菜以外は安全でない場合はどうでしょうか?

毎日毎日お米と野菜だけの生活です。

生まれてから今まで、それしか知らないなら大丈夫です。

でも、おいしいステーキやお寿司を食べた経験がある人は、一切食べてはダメだと言われたら、その通りにできるでしょうか?

全員とはいかないまでも、けっこうな人が安全でないと分かっていても食べてしまうでしょう。

つまり、ギャンブルを「やめなさい」というのは、

一度おいしいものを味わってしまった人に向かって、「おいしいものは食べないで!」と言っているのと同じことです。

辛いと思いませんか?

難しいことだと思いませんか?

経験していないことの限界

経験者とのギャップ

ギャンブルをやめてほしいと思っている人の問題として、言っている側の多くでギャンブルの経験がないということです。

経験がないので、それほど難しいことを言っているつもりがありません。

「なんでこんな簡単なことができないのか」

「どうして約束を破ってしまうのか」

ここにあるギャップを理解しないと解決しません。

さっきのおいしいものを知らないのと同じで、ステーキやお寿司を知らない人なら、これを食べなくてもぜんぜん問題ありませんから、平気で「食べちゃダメ!」といいます。

でも、食べた経験がある人は、表向きでは「食べません」と言いますが、実際には守るのは難しいでしょう。

しかも、これらが簡単に手に入り、自由に食べる時間もあるならなおさらです。

ス○ローが会社の近くにあって、自由な時間とお金があれば、食べてしまうでしょう。

ギャンブルは理屈ではない

ギャンブルをしない人からしたら、何がそんなに面白いのか?

と思うでしょう。

毎回のように負けて、お金がもったいないし、休日に丸一日潰すなんて信じられないと思います。

これも食べ物と同じで、理屈ではありません。

「おいしいステーキを食べたいな」という人に、

「どうしてステーキなのか?」

「吉○家で食べれば、金額も安いし、同じお肉じゃないか?」

「食事にかける時間も、ずっと短くて済むのに無駄だろう!」

・・うるせえ。

「食べたいものは食べたいのっ!」となるでしょう?

全く同じです。

最初から理屈で納得させることが間違いです。

しない人から見ると、一見お金を増やすためにやっているように見えますが、実際にはギャンブルがしたいだけです。

そこに経済的な損得や時間効率とか有益性を持ち込んでも、全く効果はありません。

ギャンブル対策

回数や金額の問題ではない

ギャンブルの中毒性は体が覚えています。

なので、やめたいということなら、今後一切しないことが大前提です。

回数や金額を減らすのは、「本人に負担がなく自然にやめられるかも」と思うかもしれませんが、絶対に上手くいきません。

おいしい食べ物を例にすれば、お肉料理を半分にして、徐々に少なくしてゆく対策でしょうが、一度覚えた味を食べながら最終的に無くすことができますか?

中毒性は慣れると、より強い刺激を求めます。

質や量が増えることを望む人間の性質を無視して、徐々に減らすなんてことができるはずはないのです。

一度覚えたものは、すれば思い出してしまうので、以降で一切しないようにするしか方法はありません。

1年経ったから味を忘れるのが人間の性質なら大丈夫ですが、残念ながら10年、20年経っても一度経験したものは忘れることはありません。

対策で有効なのは、唯一、

「しないこと」

です。

口約束は対策にならない

ギャンブルをしない人は、ギャンブルをやめることを簡単だと思ってしまいます。

「パチンコ屋さんにいかなければいいだけ」

「週末に馬券を買わなければいいだけ」

まったくその通りですが、これができません。

しない人は、ギャンブルをしてみて、自分が依存してみないとわからないと思いますが、それだと不幸な人が増えるだけなので、当然お勧めしません。

一つ言えるのは、本人の意思では絶対に無理だということです。

借金がバレて、泣いて後悔したところなんかを見ると、かわいそうに思えるし、次は大丈夫だと信じたくなります。

本人も真剣で、心に強く誓うでしょうが、それでも解決はしません。

本人と周囲の間に信頼とか約束とか精神的な抑制があっても、何の効果もありません。

抵抗はあるかもしれませんが、物理的な対策は必須です。

本人との口約束だけを頼りにすると、失敗した時にこちらは裏切られた気持ちになりますし、本人も約束を守れなかったことで必要以上に悩んでしまいます。

ここは、病気ということで、最初から精神論は無視して、徹底して物理的な対策を進めたほうが良いでしょう。

ギャンブルができない環境作り

とにかく、本人の意思は無視です。

「これくらいなら守れるだろう」とか

「あんまり制限するとかわいそう」などとは思わないことです。

ギャンブルは基本的にお金がなければできませんから、まずはお金を持たない生活を強制しましょう。

朝晩の食事は家で食べればいいですし、昼はお弁当でOKでしょう。

あったかい(冷たい)コーヒーを飲みたければ、保温機能付きの水筒という便利なアイテムがあります。

タバコは借金を返す名目でギャンブルついでにやめたらどうでしょう?

会社の忘年会などの会費は必要な時に用意すればいいでしょう。

嘘があるかもしれないので、会社で忘年会があったかどうかも直接会社に確認してください。

会社によっては旅行積み立てなど、現金が手に入る機会があるかもしれません。

こういったことも事前にすべて把握しましょう。

そこまでしたら本人のプライドを傷つけるかもしれません。

本人が怒るかもしれません。

でも、お金を失って困るのは本人だけではありません。

家族である以上、お金を失うということは、全員が不幸になる可能性があります。

最悪の場合、命にかかわります。

やめるのであれば、徹底した対策が必要です。

おわりに

具体的な対策は別の機会にも書きたいと思いますが、まずは、依存症を治すことができない病気だと理解しましょう。

そして、解決するには今後ギャンブルに触れないようにするしかありません。

本人にとっては辛いかもしれませんが、お金を失えば、家族も巻き込んで、全員が不幸になります。

周りの人は、ギャンブル依存を甘く考えず、本人の意思でなく、強制的にやめさせることを前提にしなければなりません。